同調圧力は今に始まったことではない、マイペースでいこう

このところ、コロナで「同調圧力」とか「自粛警察」とか「戦時」とか、果ては昔「はだしのゲン」くらいでしか見かけたことのない「非国民」という言葉まで見聞きするようになってきて、「ああ、戦時中の空気感て、こんなんやったのかなあ」なんてぼんやり思ったりしています。しかし、最近よく目にするこういった、平常時にはあまり目立つことのない特殊なキーワードは、「何も今に始まったことではない」、ということにふと気付きました。今日はそのあたりを書きます。

 

タバコ排除もすごかった

「コロナ自粛」が本格化する前、世間ではオリンピック開催に向けて「健康増進」という空気がありました。病気や感染症の防止という意味では、今回の騒動もその延長線上といえばそうですが、今の「コロナ騒動」に比べれば、それほど強くない、やや緩い空気感であったような気はします。しかしそれでも例えば喫煙は、かなりやり玉にあがりました。

ここ数年で「タバコを吸わないのが当たり前」的な空気が徐々に広がっていくにつれ、喫煙できる場所は少しずつ、場所によっては凄い勢いでなくなっていき、そのうち「あそこでタバコ吸っている奴がいる」と通報するような人も出てきました。タバコが嫌いな人は昔からいますし、通報する人も昔からいたとは思います。

しかし「健康増進」の名のもとに、それまで通報しなかった人も、通報を始めたのではないか、と思われます。何時が彼らの背中を押したか。オリンピックのために意図的に醸成された「健康増進の空気」ではないか。空気が作られて、その結果同調圧力が増し、通報しなかった人達が通報を始めたのではないか。そんな感じがします。

 

排除される側の声も大きくなりがち

「声高に排除を叫ぶ人」が増えると、逆に「声高に反排除を叫ぶ人」も当然増えまして、なんだか分断というか対立の構図が出来上がってしまっているように感じられます。思えば昔から、学校でも幼稚園や保育園でも会社でも、「皆と同じようにしないとだめだ!」という雰囲気で、人と合わせるのが苦手な私はつらかったもんですが、今の状況は、なんだかあの空気の全国版みたいなふうに感じられ、「ああ、同調圧力は今に始まったことではないようなあ」という思いに至りました。

いじめやパワハラの問題も、大雑把にくくれば同じようなもので、どっちかというといじめやパワハラの行為自体をおこなう本人よりも、「チクる人達(関西弁では通報を「チクる」といいます)が作る空気」のほうがしんどい。人間というのはそういうもんなのかもしれません。

 

マイペースでいこう

同調圧力的な空気感は、今の状況が収束したとしても、きっと続くことでしょう。だからといって「同調圧力には屈しない!」と力を入れるのも、何か違うように思います。なぜならば、そんなに力を入れていると疲れますし、テーマが遠大すぎて諸々しんどいので長続きもしないでしょう。対立や分断を増進させるような行為も、できれば取りたくない、というのもあります。

そうすると、同調圧力や集団行動が苦手な自分としては、なるべく雑音を聞かず、または意識しないようにしつつ、これまでどおり「淡々とマイペースでいく」ということを意識して、進んでいこうかと思います。「淡々とマイペース」って案外難しそうですが、さいわい考える時間もあることですし、「どうしたらリラックスしてマイペースでいけるか」というところを、じっくり考えていきますかね。