「将来」に向けて何を考えておくのが良いのか

このところ在宅ワークやら行動自粛やらで、確実に世の中の動きが変わってきているなー、という印象を受けます。先日ラジオを聞いていたところ、「原油の値段が史上初めてマイナスになった、という話題が取り上げられていました。「原油を買うと現金がついてくる」、という。であれば皆買えばよいのですが、とはいえ普通に人は原油なんか買っても置き場がないので買えないよね、という主旨のお話でした。

こんな感じで、世の中や経済がかつてない動きになっていることは、普段どう思っていようが、主義主張がどうであろうが、いわゆる「普通の人」であろうが、自分のように万事「ぼちぼち」で何となく酒でも飲んで日々いい加減に過ごしているような人間(こういう人を自分は「ぼちぼち人間」と命名しています)であろうが、分け隔てなくいろいろと、平時であれば別に聞こえなくてもいいことまでバンバン聞こえてくるのです。

が、一方で、日常の支払いやら買い出しやら洗濯やら食事やら、その他細かい生存活動の諸々は、平時と何ら変わらないところもありまして、でもなんとなく「なんかこのままではまずそうだな」という感触があり、今更ですが「ちょっと考えんとあかんかなー」などと、これまた平時と変わらないようなうすーい漠然とした思いを持っているので、思考の整理もかねてこの記事を書いている、というところです。

かといって、明確なモチベーションや取っ掛かりがあるわけでもない、というのが自分の実情でして、とはいえともかく、「何も考えないよりもマシ」くらいの気持ちで、この先のこと、未来のこと、いわゆる「将来のこと」を、ちょっと考えてみたいと思います。

 

「将来」とは半年後から20年後の間?

まず「将来」とは何か?辞書で調べると、「これからやってくる時、これから先。未来より現在近い時」などとあります。英語では「将来」も「未来」も同じ「FUTURE」なのですが、日本語の「将来」というものは、「未来」に比べると、かなり近い時期のことをあらわしているように思えます。

「未来より近い」というのは、仮に「未来」が100年後(普通の人はおそらく寿命のせいで全うできないであろう年月以上)だとすると、「将来」の上限というのは、少なくとも「数十年後」、くらいのニュアンスと捉えてみましょう。また、「明日」や「来週」は、「将来を考える」という表現を使う時の「将来」には入ってなさそうなので、そうですね、「3年後」あたりが「将来」の下限でしょうか。

しかし現在はいわゆる「平時」ではなく「緊急時」と政府が言っていることもあり、明日や来週はともかく、半年や1年後すら、見通すことが難しい状況だよなー、と感じていますです。てことで、「将来」の下限は、半年後くらいに置いてみます。

 

「将来」は年齢によっても違う

また、「将来」を考えるにあたっては、「考える人の年齢」も大いに関係します。80歳の人の将来は「来週」だったり「来年」だったり、まあ長くても十数年後くらいでしょうけれども、18歳くらいの人の考える「将来」は、そうですね、40歳か50歳くらいの「将来」、つまり20~30年後、またはそれよりも先の状態を指している、と思われます。年齢が低い場合、「将来」が長いんですね。

その結果、若年層特有のモラトリアム、猶予期間、といいますか、「先送り的な思考(今日やらなくていいや、また明日、また来週、いやまた今度、いやいつかやろう、みたいな思考)」に行き着くのではないかと思われますが、この思考は何も、若年層だけではなくて年寄りにも、先行きが短いにもかかわらず、ややもするとあらわれるものです。

年寄りまで「まあいっかー」となる理由が、農耕民族だからなのか、欧米人ではないからなのか、他に何か理由があるのかはわかりませんが、ともあれ「将来」というのは、概ね「半年後から数十年後の間の自分の姿」だとして、「将来」を考えてみます。

 

「なりたい自分」を先に決めて、今日何をするか考える

「将来」ほ範囲、つまり「今回考える対象」が、半年後くらいから始まっているということは、少なくとも「半年後の自分」というのは、考えておいてもよさそうです。とはいえ人間は、最低限の衣食住を確保さえできていれば、何も考えなくても、何もしなくても、明日や来週や半年後くらいまでは、何となく過ごせてしまいそうです。

しかしこれでいいのか?本当にいいのか?将来どうするんだ?将来っていつのことだ?あれ、振出しに戻ってしまいました。これを考えるのが、本日のテーマだったのですが、こういうことをぐじぐじ考えているうちにまた日々を無為に過ごしてしまうことになりますね。

これは時間がもったいない。特に年寄りの場合、本当に時間がない。ということは、「将来どうなっているか」というのは、実は「残りの時間で何がしたいのか」、「将来どんな自分になっていたいのか」ということを決めることが先決なのですね。

「生きていること」とか「健康でいること」とか「今やってる仕事を継続していること」とか、「なっていたい自分の姿」を先にイメージして、「そのためには何をすればよいか」、ということを考えて、それを小分けにして日々小さいことからこつこつとやる、と。これが良いのではないか。「将来に向けて何を考えるか」とは、「自分が何になりたいか」、「なりたい自分になるために今日何をするか」なんですね。

今日はこのあたりまでにして、「また今度」というとまた無為な日々が過ぎてしまってもったいないので、なるべく短いスパンで、考えたいと思います。