「一切合財世も末だ」を知らない人は、聞くがよい


ちょっとした興味がきっかけで観に行った映画で、大変に衝撃というか影響を受けることがあります。人それぞれストライクゾーンは限られていて、私の場合も然りなのですが、それにしても今回知った作品は、「なぜこの数十年素通りしてきたのか?なぜ知らなかったのか?」ということを、あらためて思い知らされる出来事でした。そこら辺の話を今日は綴ります。

いや実際、ブログの存在意義というか、「なんで文章を書くのか?」とか「思いを吐き出してすっきりするからか?」とか「文字を書くのが好きだからか?」とか、もやもやしたところがあったのですが、そのもやもやに終止符が打たれたような気がした、という事実だけでも、相当大きな衝撃でした。

 

「どこへ出しても恥かしい人」という映画

それは、映画のタイトルが、なんとも思い当たるところがあったことがきっかけでした。映画のタイトルが「どこへ出しても恥かしい人」だったのです。このご時世、ギミック狙いというか炎上狙いで、いかにもそれらしいキーワードが氾濫しているからそんなのかなー、という感覚はあったものの、はるか昔に読んだ太宰治の小説「人間失格」の冒頭の文章、「恥の多い人生を送ってきました」に大いに共感を覚えた身としては、なんとなく引っかかって、放置したままにすることができなくなるに十分な「つかみ」でした。

映画は時間にして1時間余り、内容は歌手にして画家、競輪評論家でもあるという友川カズキというアーティストのドキュメンタリーだったのですが、私は氏の人となりや作品には、全然触れずに今まで過ごしてきたのでほぼ初コンタクトです。正直、相当ビビらされました。70年代から活躍されていた方とのことですが、まったく知りませんでした。また、私がもっとも好きな映画のひとつである「戦場のメリークリスマス(1983年、大島渚監督作品)」の重要な役どころである、ヨノイ大尉の役のオファーを受けていた、ということを映画を見た後から知って、さらに驚きと興味が増したのです。

つかみは映画タイトル、そして実際に観てみて、ドキュメンタリーの主人公である友川カズキ氏の、アーティストとしての、そしてギャンブラーとしての、人間としての凄みが伝わってきました。元々ミュージシャンを志向していたが世間のしがらみや常識に流され、今や無能な消費者となり果て、なおかつサラリーマン的小博打三昧で小市民以外の何物でもない私は、映画に続いてYOUTUBEで彼の過去の楽曲にも触れてみたのです。そしたらこれが。これが凄い。なんでこれほど凄いと感じたのか。十代の頃に聞いたとしても、今ほど衝撃を受けたか否かはわかりませんが、それにしても凄い。パンクだ。これはいったいどこから来てるんだ?ほとんどであったことのない「本物のアウトローヒーロー」に思えてきます。

そういえば映画の中で、遠藤ミチロウ氏の曲を「金のために」といって歌っているシーンがあったのですが、日本で言われているところの「パンク」と、何か通底しているところがあるのか?謎は謎を呼ぶばかりです(そういえばパンクの代名詞であるセックスピストルズの再結成について、ボーカルのジョンライドンが「金のためだ」とはっきり言っている様は、当時パンク好き界隈でも賛否両論あったのですが、私は「この言い草こそパンクや」と思った派です)

※追記:しかしその後氏の様々な言動をインタビュー記事や動画等で触れるにつれ、パンクとかフォークとかそんな括りではなくて、遠藤ミチロウの曲を歌ったのも金のためなんかではなくて、もっと人間として根本的なところから出てきているエピソードであったことがわかってきました。

 

「一切合財世も末だ」が凄いことを伝えたい

私は数十年来パンクというジャンルが好きで、その縁でアバンギャルドなフォーク系アーティストとして三上寛というアーティストの作品は何度か聞いてはいたのですが、友川カズキというアーティストについては、名前くらいしか知らず、「フォークの人」くらいに思っていました(wikiによると1950年生まれとのことですので、まさにフォーク全盛の時代のアーティストではあります)。

ところがYOUTUBEで見た、というか見て聴いた「一切合切世も末だ」という曲は、それはそれは凄かったのです。ボーカルの迫力も然り、バンドの演奏(チェロも入っているが全然違和感がない)も然り。「なんなんだこれは」という、ちょっと形容しがたいものでした。しかし、混乱しながらもこの曲は「人間の本質的なところを歌っているに違いない、これは魂の叫びに違いない」、という感触でした。

この感触の原因を考えてみると、まず日本のパンクの祖のひとつといわれているロックバンド、頭脳警察のメンバーが映画に出演されていて、そこから否応なしにパンク感、アウトロー感を覚えたことがあります。少数派感も感じました。さらに競輪を舞台にして、ギャンブラーとしての氏の側面も映画で存分に活写されていて、アウトローであるが故に「忖度知らず、本音、魂の叫び、むき出しの言葉」であったからこそ、何か得体のしれない衝動を覚えたのだ、と思います。

うまく説明できなくて歯がゆい、歯がゆいのですがしかし、友川カズキというアーティストと彼の作品は、これからもずっと残っていくべき作品というか、残さないといけない作品なのではないか、という使命感に似た感情が、彼の映画や作品に触れた私からにょきにょき出てきたのは事実です(なんだかこの「にょきにょき」感覚は、年食ってから実感として認識できるようになった気がします)。

ということで、友川カズキ氏の映画を、見ていない方は一度見てみるのをお勧めします。曲を聴いていない方は、曲を聴いてみることをお勧めします。こういった「後世に残すべき何か」を伝えることこそが、人がしゃべったり文章を書いたりする、本質的な理由ではないか、と思った次第です。「一切合財世も末だ」を知らない人は、聞くがよい。