群衆心理や同調圧力が嫌いという話

ウィルスやら某容疑者の海外逃亡やら円高やらオリンピック開催やばいやらなんやら、暗い話題には事欠かない今日この頃ですが、そんな中でも興味深いというか、とあるキーワードがトリガーになって、「え?そらそうやろ」と膝を打ったことがあったので、ちょっと綴ってみます。

 

若者のコロナ離れ

TWITTERで「若者のコロナ離れ」というキーワードを見かけまして、自分は若くもなんともないのですが、いい加減この騒ぎに嫌気がさしていたところなので、まさに「おお、そら既得権益でもない限り、離れるわな」と思った次第です。ちょっと脱線しますが、「ブログを書くときののコツとして、『○○と思いました』とか『○○と考えるのです』とか書かずに、『○○だ!』とか『○○なのです!』とかいう言い切り型で書きましょう、その方が読んでもらえやすい、ってのがあったんですが、いやーイヤですね、丹波哲郎ではないですが、私が個人的に『思うんだからしょうがない』というのが本当のところでして、なんでそんな自信たっぷりに言い切ることができましょうか。できないでしょうよ。って「思うのです」。

っていう話は実は完全に脱線しているのではなくてちょっと関係していまして、「若者のコロナ離れ」という現象は、「起こるべくして起こっている」、と私は思うのです。なんでって、風邪だか何だかわからない、実は風邪みたいなものかもしれない、いやインフルエンザ的な(ちょっと重篤な)ものかもしれない、しかし実際のところはほとんどの人間は実態は理解していない(少なくとも私は知らない)、従ってマスクやティッシュやトイレットペーパーを大量に買う「必然的な理由」は明確にはない、にもかかわらず、国をあげてのリスク回避要請、イベントや学校やオリンピックや野球や競馬やホテルや飲食店、果てはライブハウスまでターゲットにして「強制ではない自粛要請」がまかりとおって、つうかマスコミや新聞や文化人やお笑い芸人やなんやかんやも「そうだねそうだね」みたいな雰囲気、そう「雰囲気」、「空気」、いわば同調圧力や群衆心理が作り出されて、多くの人がそれに乗っかっている様が、なんとも気持ち悪い。なんなんだ空気、なんなんだ雰囲気。さらに言えば、なんなんだそれにのっかる大多数。そらあ「若者のコロナ離れ」とか起こるわ。そらあ、若者でなくとも、一部のおっさんやおばはんも「もうコロナええわ」とか思うわ(大人はさすがに「飽きたから」とは言わんけれども)。

 

空気は「そう思う」という人の人数比率で出来る

今更ですが、多数決の人数の多いほうが、あまり好かないのです。その理由を単純に言えば、「儲かる気がしない(人気薄のほうが配当が大きい)」というのももちろんありますが、それ以前に「大人数に乗るのはみっともない」とか「人としてかっこ悪い」とか、そっちのほうが大きいですよ。おっさんやおばはんは、経済活動や意味不明の「威厳」を保つという妙なプライドや、あと「既得権益を守る(これがまた自分なりの大きさなので相対的には実は貧乏くさい)」ミッションがあるので、大人数のほうに乗っかりがちで、それによって「空気や雰囲気」を作りがちなのですが、あんまり守るものがない、まだ既得権益を手に入れていない若年層は、「つまんねーみっともねー」て、そらなるでしょう。私は若くもなんともないというか年寄りですが、既得権益もほとんどありませんし、単純にあまのじゃく的なところもあるうえに、「大人数で何かをやる」のが大の苦手というか好きではないので、率直に今の状況だと、「コロナ本体よりもそのまわりの人間の様が、もうええわ」というのは、腹に落ちるところなのです。そもそもティッシュペーパーやトイレットペーパーが実は生産としては追いついているのに小売店からはなくなるというのは、「空気が引き起こした実害」と理解しています。空気とか雰囲気というのは「私もそう思うわー」っていう人の人数比率で出来上がるもの、と思うのです。同調圧力、群衆心理、嫌いですわ。

ということをつらつら綴っていたら、漫才でいうところの「もうええわ」ってなってきたので、また後日オチを考えます。と思います。思います。