「孤狼の血」が挑戦している「正義とはなんじゃ?」というテーマを考える

近年、自分的なベスト3といえば、諸々あってなかなか絞りにくいものの、「日々の経済活動に意味付けをする」という観点では、産経新聞連載中の作家の曽野綾子さんの「透明な歳月の光」と、今も現役で活動しているパンク界隈のレジェンド達の健在ぶり(GAUZE、GBH、DISCHARGE等々)、それから役所広司さん主演の「狐狼の血」という東映映画をあげておきたい、と思います。

これらに共通するのは、これまでの人生で「個人的に魂を揺さぶられる出来事」の積み重ねによって出来上がったいわゆる「価値感」に触れる、言い換えれば「琴線に触れる」内容であった、ということなんですけれども、「透明な歳月の光」と「パンクレジェンド」が、「積み重ねという継続的な活動自体に価値がある」というところに共感できた、ということに対して、「狐狼の血」は、「そもそも根本的に、人間の役割分担というものが、実はあるのではないか」、という点を再認識できた、というか、自分の中で解決すべき課題として改めて意識できた、というところで、大変共感できたのです。そこでここでは、「個人的な価値観とは?」、「価値観を大事にすることの意味とは?」、そして「(映画の中の印象的なシーンで使われているセリフの)正義とはなんじゃ?」という領域について、考えてみたいと思います。

 

人は社会で常に役割を担っている

「孤狼の血」という映画が、「社会活動における人間の役割分担というものが、どんな領域においてもあてはまるものであり、映画や会社や地域社会や文化活動といったジャンルを問わず、根本的な考え方として、普遍的な概念なのではないか」と気づかせてくれたことは、日々の社会活動に勇気を与えてくれるに十分な出来事でした。人間が大勢暮らしていて、なおかつ入れ替わりも激しい(生まれる命、死ぬ命が日々交差している)中で、「正しい価値観」、つまり「正義」というものは、人それぞれまさに千差万別ではないか、と思うのです。そのうえで、いわば「別々の動機を持っているもの同士で、同じテーマに向かって少しずつ進んでいく」ことは、実は正しいのではないか、もっといえば、人間の活動の本質は、そういうものなのではないでしょうか。

「人それぞれ千差万別である」ということを大前提とすると、社会(=価値観の異なる大勢の人々で構成されている集団。文化だったり会社だったり業界だったり国だったり、さまざまです)における「正義」とはつまり、「その社会に属している多くの人が、思いを同じくしていること」に、他なりません。大変わかりやすい例で言えば、たとえば「人を簡単に殺してはいけない」というお題などは、まさに非常に多くの人が共感できる「正義」のひとつかと思います。

しかし、「人を殺す」ということひとつとっても、「普通は人を殺すという判断をおこなわない中で殺したからには、それを超える理由があったに違いない」といった思考や、「いやいや法律で決まっているのだから、なにがなんでも殺人というものは絶対悪だ」という思考など、いろいろな結論がさまざまな人から語られることでしょう。これこそが「人間の多様性」、さらには「地球上に存在しているいろいろな種類の生き物の存在理由」であると思うのですが、もしその仮説が正しいのであれば、「一つの目的に向かうべき集団(つまり社会活動そのもの)」には、宿命的に役割分担という概念が存在している」、と思えるのです。それだから人は、それぞれ弱音を吐いたり、陰口をたたいたり、酒を飲んで愚痴ったり、体裁を繕うような忖度をおこなったり、激こうして何もかも破壊するという行動に出たり、ハラスメントの数々を働いたり、はたまたすべてに対して耳目を塞いで引きこもりや宗教や自殺に閉じこもったりするのではないでしょうか。

 

「思い」が行動と変化を生む

「孤狼の血」は、「お金以外の何かが人を動かす」ということを、如実に語っています。ぱっと見の舞台設定が「警察とヤクザの癒着と反目」なので、短絡的には「目的がお金」に見えるのですが、主人公である中年刑事(役所広司さん)や、その部下兼上位組織のスパイとして、主人公の生き様を見ることになった若い刑事(松坂桃李さん)、その周辺にいる、それぞれ事情を抱えて日々なんとか生きていかざるをえない人々を見るにつけ、(考えてみれば当たり前ですが)「生きていく」ということが、「決してお金のためなのではない」ことが実感できます。

「孤狼の血」はかつての名作である「仁義なき戦い」を作った東映の「現代における魂」ともいえる作品ですが、少なくとも映画を観た自分が、「そもそも生きている意味、社会における役割分担の普遍性」について考えて、自分の見解を発信するトリガーとなった、ということだけでも、ただのアクション作品、ヤクザ映画ではないということは、断言できます。原作者や監督をはじめ、作品を作ったスタッフの「思い」は、見るものの景色や思考やアクションに影響を及ぼしますし、その結果として、新たな社会が構築されたり、既存の社会を再編したり、消えてしまった文化を再興したりといった「大きなうねり=変化」を生んでいくものである、と自分は信じます。「正義」とは「表現」であり「影響」であり、「役割分担」であり、その先の「人類共通の何らかの目的」なのです。きっと。