「働き方改革」とか「ワーク・ライフ・バランス」って、本当はいったい何なのか

このところ、いろいろなところで「働き方改革」とか「ワーク・ライフ・バランス」というキーワードを見かけますが、なんともいえない違和感を覚えませんか?一見個人の活動には直接関係のない話題のようにも思えますが、少なくとも、芸能人の結婚や引退や逮捕、遠い国の紛争などに比べれば、日々の仕事や生活にも思いっきり影響を及ぼす問題、というか私の場合、実際影響は及んでいますので、この機会に「働き方改革」とか「ワーク・ライフ・バランス」というスローガン(?)はいったい何なのか、何が目的なのか、個人は何をすれば乗り切れるのか、ということを考えてみたいと思います。

問題がデカすぎて最適解が出ない可能性は大(なんか最近そういうところに関心が行くことが多い。ある意味逃避?)ですが、とりあえず行けるところまで行くつもりで、取り掛かってみます。

 

企業のリストラと個人の思考停止が進んでいる?

内閣府のページを見てみると、政府が平成17年頃から既にこの話題を方針として打ち出していて、毎年調査や報告をおこないつつ、継続して推進していることがわかります。要は、「国レベルの方針」ということです。内閣府の政策ページに「仕事と生活の調和」推進サイトというページがありますが、このページは、ITプロジェクトでいえば「プロジェクト計画書(プロジェクトの背景や目的、ゴールなどを書いておく文書)」みたいなもので、以下のようなことを問題として認識しています。

かいつまんで言えば、背景にある大きな問題として2点、「仕事が忙しすぎて(または優先しすぎて)、家庭や生活や地域社会への参加が不十分であること」、「(その結果として)人口減や少子高齢化が起こっていること」、これらに手を打たなければならない、としています。

仕事は、暮らしを支え、生きがいや喜びをもたらすものですが、同時に、家事・育児、近隣との付き合いなどの生活も暮らしに欠かすことができないものであり、その充実があってこそ、人生の生きがい、喜びは倍増します。しかしながら、現実の社会には、安定した仕事に就けず、経済的に自立することができない、仕事に追われ、心身の疲労から健康を害しかねない、仕事と子育てや老親の介護との両立に悩むなど、仕事と生活の間で問題を抱える人が多く見られます。これらが、働く人々の将来への不安や豊かさが実感できない大きな要因となっており、社会の活力の低下や少子化・人口減少という現象にまで繋がっていると言えます。それを解決する取組が、仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)の実現です。仕事と生活の調和の実現は、国民の皆さん一人ひとりが望む生き方ができる社会の実現にとって必要不可欠です。皆さんも自らの仕事と生活の調和の在り方を考えてみませんか。

※「仕事と生活の調和」推進サイトより引用。http://wwwa.cao.go.jp/wlb/towa/index.html

しかし、日々の経済活動で、なんとなく、いや大きな違和感を感じるのは、前述の政府の方針を受けて、仕事場で起こっている「雰囲気の変化」や、正規雇用の人達の「報酬の減少」という実影響です。価値観の多様化は、企業のみならず、労働者にまで及んでいて、何らかの大方針をトップダウンで発信しても、受け取る側の解釈がさまざまなので、結果的に、「もともとなんだったのか、どこを目指していたのか」みたいなことになりかねず、実際そのような混沌とした状況になっているのではないか、と感じます。

一部の人は、トップダウンで指示されている時短(勤務時間の短縮のこと)を利用して、生活の問題の解消に励んでいるのかもしれませんが、報酬が新たな課題になるような人は、素直に受け入れることは困難です。

企業は一見、単純に時短勤務や在宅勤務を進めようとしている、つまりいわゆる「リストラ、賃下げを進めようとしている」ようにも見えますし、さらに、それに乗っかっている多くの人は、報酬の問題を問題として認識していない(ように見える)うえに、残った仕事をどうするかとか、そもそも個人の報酬の源泉となる「企業の儲け」をどう担保するかなど、働き方改革とかライフ・ワーク・バランスなどが声高に叫ばれる前までは、労働者の立場でもそれなりには考えていたはずのことを、以前よりも考えなくなってきているような気がするのです。

なんというか、「働き方改革」とか「ワーク・ライフ・バランス」とかいう掛け声を免罪符に、「思考停止」とか「見て見ぬふり」が進んでいるような感じがしていて、なんともいえない違和感を覚えています。社会学者の宮台真司さんは、以下のようにお話されていますが、「認識の齟齬」が起こっているという意味では、やはり違和感を感じていらっしゃるのではないか、と思われます。

「ワーク・ライフ・バランス」は趣味の時間を増やすことだと誤解されがちだが、本質は「経済を回す」ための時間を減らして「社会を回す(行政まかせにしない、自治活動に参加する、ボランティアをする、相互扶助や絆を考える、地元の問題を解決する・・・)」ための時間を増やすことにある。こうした誤解が蔓延するのは日本だけのことだ。

※『格差社会という不幸』:神保・宮台激トーク・オン・デマンド」より引用。http://miyadaibot.blog.fc2.com/blog-entry-11.html

「思考停止」や「見て見ぬふり」ではない可能性もある

しかしここで一考。政府と企業主導の「ワーク・ライフ・バランス」に適応できる人が、「思考停止」や「見て見ぬふり」をしているというのは、実は私の錯覚である可能性もあります。

彼らは、そもそも報酬引き下げに適応している、適応できる背景があるのかもしれません。仮に、適応する動機が「クビが怖いこと」だとすると、クビが怖い理由は、「他に行くところがない、ヨソでやっていくスキルがない」とか「今の場所が好き」とか、「(長く居るので)他のコミュニティに行くのは面倒くさい」とかなのかもしれません。

適応できる理由が「お金に困っていない」のだとすると、そもそももとより仕事自体が道楽というか、趣味である可能性もあります。または、こういった非常事態に備えて、こつこつ貯金をしてきたのかもしれません。宝くじが当って、まとまったお金を持っているとか、遺産とか不動産で別収入がある可能性もあります。

「報酬が減ることに適応できない人(または心情的に大企業病的なものが嫌いな人)」から「適応できる人」を見ると、「思考停止」や「見て見ぬふり」に見えることがある、ということです。

そうすると、彼らが余剰時間で「生活」の時間を過ごせば、「地域コミュニティの活性化」や「少子高齢化の改善」という、政府の思惑通りになる可能性もあります。報酬が減ると困る「適応できない人」は、生きていくために報酬を維持するアクションを取ります。そうするといわゆる「生活」の時間は増えませんので、政府の大方針に、すぐに貢献することは困難になります。報酬が問題になる人が、生活の時間を確保するには、どうしたら良いのでしょうか。

報酬の問題をクリアする方法

もっとも簡単なことは、「まずは報酬を増やすこと」なのですが、一見見当たらない「報酬アップの機会」は、実はあります。いわゆる「仕事」の多くの現場でおこっていることは、正規雇用の人、つまり社員の人に対して、「働き方改革」の旗のもと、時短勤務やフレックス、有給消化率アップが推奨されています。

しかし、仕事量は急には減らないし、人の生産性も急には上がらないので、「仕事がさばけない」とう状態が起こっています。それはそうです、それまで10人で10か月でやっていた仕事が、「働き方改革」を導入したからと言って、急に5人で5か月でできるように、なるわけはありません。さばけなくなってしまった仕事はどうしているかというと、非正規雇用の人に依頼してやっつけようとします。「企業のリストラ」の結果、あふれた仕事は市場に出回るわけです。

仕事量自体を減少させて乗り切っている企業もなくはないですが、そもそも企業の経済活動は「永久に右肩上がりでいる」ことを目指しているので、急激な仕事量削減ができるところは、少ないでしょう。かくして「正規雇用の人にはやらせないで、非正規雇用の人にやらせたい仕事」は増えるのですから、それらを非正規雇用の労働力が請ければ良いわけです。ここでいう非正規雇用とは、あくまでも「正規雇用者を抱える企業から見た労働力」ですので、法人でも個人事業主でも派遣でもアルバイトでもよいわけです。

これに付け加えて、余剰分の仕事をさばく場合には、環境と要件が許せば、いわゆるアジャイルが有効です。なぜならば、従来型のウォーターフォール開発の場合、ステークホルダー、平たく言えば「生産はしないけど、承認やレビュー専門の、極論してしまえば文句だけ言う人」が大量に存在して、ひとりの案件をやっつけるのに、非常に時間がかかるからです。アジャイルだと、プロダクトオーナーとスクラムマスターと開発者で回せますので、何よりもスピーディーに仕事を回せます。権限委譲も企業にとっては「越えるべきハードル」ですね。

 

非正規雇用の労働力が足りなくなる

というわけで、そもそもの「働き方改革」のゴールである「社会を回す(ことに貢献する)」というところに行きつくために、「働き方改革による報酬減に適応できない人」は、まずは適応できる状態にする必要があります。一見節約するしか方法は内容に見えますが、「創出はされているものの、正規雇用に割り振ることをやめた仕事」を請けて、報酬を補てんすることで、一時的に起こるマイナス状態を、ゼロ状態、またはそれ以上に戻すことが可能です。

この流れの中に、「正社員の副業OK」とかいうキーワードも出てくるのですが、要するに、「正規雇用の労働力が削減されることで、非正規雇用の労働力が、今以上に必要になる」ということです。極端な話、正社員の人が、なぜか夕方以降はバイトになる、みたいなことも起こるでしょう。

なんだかいわゆる格差社会というか、二極化はさらに拡大するような予感がしないでもないのですが、「働き方改革」の成果として少子高齢化に歯止めがかかるのには、まだまだ何年もかかるでしょうし、非正規雇用の労働力が不足することで、労働者の新たな付加価値が出現する可能性があったり、非正規雇用の付加価値に「社会を回す」という大義を活用、付加することで、現状とはまったく違った展開になる可能性があるのではないか、という気がしてきました。

これは何を言っているかというと、プロジェクトのゴールを、「これまでよりも直接的に社会的な意義に直結するテーマを優先する」ことで、より早期に「働き方改革」のゴールである地域社会の活性化や少子高齢化に寄与する、ということです。これからの時代、こういった優先順位の付け方が、当たり前になっていくかもしれません。

楽観的すぎるような気もしますが、楽観しないとやってられないところもありますので、今日のところは、「風が吹けば桶屋が儲かる」ではないですが、①経済力のある正規雇用の人が先行して地域活動をおこなって、②比較的経済力のない正規雇用と非正規雇用の人は、正規雇用からあふれた経済活動を、これまでよりも良い条件で担える可能性が有るため、「働き方改革は意外と良いかも」ってことにしておきます。