「賭ける魂」と「地球交響曲」がつながった話

先日、宗教学者の植島啓司先生の「賭ける魂」というタイトルの講義に参加してきました。それから、そこで教えていただいた、龍村仁監督の「地球交響曲」というドキュメンタリー映画も、運よく続けて観ることができたのです。「運よく」というのは訳があって、この映画のことは、この講義で初めて知ったのですが、どうやら一般の映画のように、普通の映画館や名画座などでは上映していなかったようで、しかもググったらこの映画、1番から8番まであるという、タイミングが合わないとなかなか見ることができない(DVDは販売している)映画だったのです。それがたまたま、講義の翌週に1日だけ上映会があることを知って、「これはラッキー」ということで、早速見に行ったのです。

講義で聞いたのは「地球交響曲三番」だったのですが、上映中の作品は「地球交響曲二番」でして、ちょっとアレなところもあったのですが、そこはまあ良しとする、といいますか、そんなことは気にならないくらいの、お得感満載、得るもの満載の数日間だったので、ちょっとアウトプットしてみたいと思います。

「わかっている」とは決して言わないこと

まずは植島啓司先生の講義のお話。「賭ける魂」ということで、「運を得るための考察」という観点で、響いたことは大きく3つあるのですが、まず伝わったのは「知っていると思っていることでも、改めて他者から知らされると新鮮だし、実はよく知らなかったということがわかる」ということですね。これは本当に、改めて思い知りました(その後、映画でも思い知らされることになります)。

知っていると思っていても、知識レベルというか実践レベルでない、さらに「運」のような可視化しにくい概念は、余計に実感として「わかった」とか「知っている」とかいう境地には至らないものです。こういう形のないものは、自分で一生懸命考えたり、他者と会話したり、トライアンドエラー形式で実践したりして、少しずつ地道に形を確かめていくより他はないのですが、そのためには自己完結ではなしに、他者からのインプットやコミュニケーション、映画、本、音楽、ライブ等が非常に有効である、ということです。制約理論のエリアフ・ゴールドラット先生「『わかっている』とは決して言わない」ということをおっしゃっていますが、正にそれを体感しましたね。

 

信じることと継続すること(100年以上続く研究)

何で体感できたかというと、それは「いくつかの示唆をいただいた」からです。私は数学者でも物理学者でもなくて、そこらへんの一般人なのですが、それでも仕事はしていますし、家やら文章書きやら何やら日々生活(あ、生活って、生存活動の略か!)はしていますので、生活を円滑に回すために、「他者に対して納得感を持ってもらいたい、なるべく論理的でありたい」と思って生きています。

このあたりを、「リーマン予想」という、科学の世界で100年以上研究されているにもかかわらず、未だに解明されていない、けれども少しずつ事実を積み上げて、一歩一歩解明に近づいている「科学的な課題」を題材にして、説明していただいたのです。全く知りませんでしたね、リーマン予想。リーマン予想研究の歩みをばっくり説明しますと、こんな感じになります・・・18世紀まで、世界中の誰もが「素数(自明な正の約数、 1 と自分自身以外では割れない数のこと)の間隔には法則性はない」と信じていた、常識だったところを、スイス生まれの天文学者にして数学者のレオンハルト・オイラーという人が、「いや素数が出現する間隔には法則があるはず、論理的な説明は必ずできるはず」と信じて研究を重ね、「素数階段」という概念を経て、素数の間隔と円周率が関係していることをつきとめます。

さらにその100年後、オイラーさんの概念は、ドイツの数学者ベルンハルト・リーマンさんが一歩前進させて、リーマン予想という概念を発見します。何の予想かというと、「リーマンゼータ関数の零点が、負の偶数と、実部が 1/2 の複素数に限られるという予想」だそうですが、素人には厳しい世界です。。。リーマンさんは、「ゼータ関数」という中間アウトプットは示したものの、元の課題である「素数の間隔についての法則」は、まだ解明していません。

 

多様性を積極活用すること(数学者と物理学者の邂逅)

リーマン予想の謎に挑む科学者の姿は、アメリカの映画「ビューティフル・マインド」でも描かれています(この映画も初見。講義で教えていただきました)。余りに難解すぎて、ジョン・ナッシュという科学者は、統合失調症を発症した、ということです。それで科学者がおそれをなした結果かどうか、リーマン予想の研究は失速し、次に前進するのは、20世紀になってからになります。

1972年、学会か何かでたまたまコーヒータイムを一緒にとったという、数学者のヒュー・モンゴメリーという人と、物理学者のフリーマン・ダイソンという人が、素数の並びの間隔を表す式の中間的アウトプットであるゼータ関数上のゼロ点の間隔を表す式と、原子核のエネルギー間隔を表す式が一致することを発見します。この出来事がきっかけでリーマン予想研究は再び活性化し、1990年代に入って、その名も「リーマン予想会議」なる会議が開催され、「素数問題と非可換幾何も関連していること」が、新たに発見されたりしている、とのことです。

19世紀時点では少数派であった概念が少しずつ、一歩一歩前進している、つまり「人類の共有認識や常識が変わっていく」ということが起こっている。素数の並びの法則は、世界中の数学者や物理学者、いわば「人類の叡智」が束になってかかってもまだ未解決といいますから、ものすごい難題です。しかし、アプローチをやめたらそこで終了ですから、課題に対して考え抜くことや継続することが、どれだけ重要で、効果があるか、ということです。

それからこの問題を、大きく前進するきっかけとなったのは、「数学者と物理学者の邂逅」であったこともポイントです。ここからは、他者とのコミュニケーションの重要性や、さらには昨今よく言われている多様性(ダイバーシティ=人材の違いを積極的に活かす、といった意味合い)も、新しい発見には大変有効であることも感じられました。

フリーマン・ダイソンさんは、後述する「地球交響曲」の中で、このようにお話されています。この言葉は、「地球交響曲」シリーズのコンセプトにもなっている、とのことです。なんだか「考え抜くこと、信じること」に大きな意義をもらえた気がします。

人間の想像力は、単なる絵空事ではない。人は心に描いたことを、いつか必ず実現する。そのために、神は人間に想像力を与えたのだ。

 

地球交響曲でさらに確信

素数の話というか、運の話は講義だけでは終わりませんでした。「地球交響曲第三番」に、件のフリーマン・ダイソンさんが出演されているということで、早速観に行くことにしたのです。普通の映画だと思って上映中の映画館を探した(古い映画でも、名画座でやっていることがあるため)のだけれども見つからず、アマゾンでDVDを発見しましたが結構値段が張ったので、たまたま1日だけ上映していた「第二番」を見に行くことにしました。

そしたらこれが、「ガイア理論」と呼ばれるものの考え方、「地球はそれ自体がひとつの生命体である」という概念を、一般的に「とんでもなくすごい」と言われている方々の生き様や発言を通して体感する、という壮大なドキュメンタリー映画でして、その中で、講義で感じた「運をつかむための秘訣」の前述の3点①何かを信じること、②探究活動を継続すること、③多様性を積極活用すること(コミュニケーション、人と人とのつながり重視)を確信するとともに、「そんなことは当然のことであって、全体の中の個として、ひとりひとり何ができるか考えよう」というメッセージ、というかデカい宿題を受け取ったのでした。

もはや「運をつかむ」よりも、もっと大きいところに来てしまった感じです。でも考えてみれば、「運をつかむこと」とは、「より気持ち良く生きること」と同義かもしれません。「第二番」の映画に出演されていたのは、フランスのフリーダイバーのジャック・マイヨールさん、福祉活動家の佐藤初女さん、世界的に有名な仏教指導者の指導者ダライ・ラマ14世、天文学者にして宇宙生物学者、「地球外知的生命探査計画の父」と言われているフランク・ドレイクさんの4人なのですが、とんでもなく偉大な方々にもかかわらず、皆自然体で(それだからこそ大人物と呼ばれる方々なのだ、とも思う)、説得力が有りすぎて、もうこんなコメントを書くこと自体がおこがましくなるくらいに恐れ入ってしまいました。

 

「利他的であること」は「気持ちよく生きること」とは矛盾しない

かに「地球はそれ自体がひとつの生命体である」という前提に立てば、細胞のつぶつぶのひとつである個人個人は、「思いやり」や「利他的」といった考え方を特に意識せずとも持つべきですし、というか、自分中心=エゴを発動する必要がなくなれば、自然にそのように振る舞うようになるだろうなー、なんら矛盾はしないなー、と思いつつも、簡単にその境地に達することは、難しいと直感的には思います。

少なくとも、自分中心の振る舞いというものが、お金の欲求とか承認欲求とかの感情よりももっと奥の、無意識レベルの大前提のところから起こっていることは、なんとなく理解できた、ような気はします。映画では、4人の偉人が、それぞれ他者に対して利他的に振る舞っておられる様が映し出されていました。

ジャック・マイヨールさんは「イルカ(や海、自然)」、佐藤初女さんは「苦しんでいる人」、フランク・ドレイクさんは「宇宙人(いのちの電話のボランティアもされていたそうなので、「苦しんでいる人」も当てはまります)」、ダライ・ラマ14世は、「(チベットや世界各地で)苦しんでいる人」に主に相対されているのですが、非常にスケールが大きい。個人的に運をつかむところから、イルカや宇宙人や、政治的な要因で苦しんでいる人々にまで話が広がっています。

思考もこの文章も、一気に収束はムリだ。しかしムリといってしまったらそれで終わりで、何も生まない。それではいけない。自分にできることは何か。日々ちょっとマシに振る舞うことはできるのではないか。こつこつ積み上げることはできるかも。そう思えてきました。うん、できることをこつこつやろう。そして運と、気持ち良い生活を手に入れる。まずは近くにいる人とのウィンウィンからトライしよう。今日はここまでにします。