ITプロジェクトで優秀な人が退場しなければならない理由

ある人が優秀か否か。「優秀」という言葉が定性的であるため、評価は集団や局面などの環境によって、大きく変わります。ある会社やプロジェクトで「全然ダメ、どうしようもない」といわれていた人が、別の環境では「非常に優秀」という評価に激変する例は、少なくありません。

ITプロジェクトにおいても然りで、ばりばり仕事をこなして、「モノつくり」という観点で成果をあげていたとしても、必ずしも「優秀である」という評価を得るとは限らず、理不尽さと居づらさを感じて退場してしまうような例を、実際に何度も見かけました。

このような現象はなぜ起こるのか。そして一体誰が得をするのか。ここでは、ITプロジェクトにおいて優秀な人が退場しなければならない理由と、不幸な状況を作り出さないための対策を考えてみます。

 

多数派の価値観で決まる「人の優劣」

ITプロジェクトの場合、「何が問題なのか」、「問題をどのような状態に変えたいのか」、「状態を変えるために、どのような方法を用いるのか」という大方針を、大抵プロジェクトオーナー(多くの場合は経営層や関連する利害関係者)が、プロジェクト立ち上げ前に大枠を決めます。プロジェクトの位置付けやゴールイメージ、費用規模などを、経営戦略の一環としてざっくり描いておくのです。

その後、プロジェクトスコープに沿って、プロジェクトオーナーが所属する企業の要員を中心に、外部ベンダーやパートナー要員を含めて体制を組成し、あらかじめ決めておいた、プロジェクトのスコープであるプロダクト製作のスケジュールを遵守できる可能性がなるべく高い環境を整えていきます。

このあたりまでは「モノつくりプロジェクト」としてはセオリーどおり、教科書どおりのアクションなのですが、既にモノつくりとは直接関係ないような「政治的な判断」が始まっています。

具体的には、プロジェクトマネージャーやプロジェクトリーダー、サブリーダーなどの、プロパー主導のマネジメント人事や、外部コンサルタントや開発ベンダーの選定など、比較的大きなコストが動く場面では、ほぼ必ず政治的な判断、つまり社内派閥や関連グループ会社間の主従関係、懇意にしているベンダーと、ライバル関係にある人と信頼関係を築いているベンダーの取捨選択などが働きだします。

 

絶対能力ではなく適応能力が問われる

これらを含めて「モノつくり」といえばそれまでですが、逆にいえば、派閥を積極的に創ったり所属したりしなかったり、特定ベンダーとの関係性を意識して構築してこなかった要員は、いくらそのプロジェクトの成果に対して優秀なスキルを持っていても、「政治的に長けていない」という理由で、能力が発揮できないばかりか、スキルがあるのにプロジェクトに参画できない事態まで起こり得ます。絶対能力ではなく、適応能力が問われるわけです。結局のところ、プロジェクトにおける人の優劣、有用さは、どこかの政治家が言っていたとおり「政治は数の論理」、つまり「多数決できまる」ことがおわかりかと思います。

別の集団に移籍することの有効性

こういった「政治的な状況」は、長い期間同じ価値観、同じ選択をし続けることで醸成・洗練され、文化にまで昇華されることになります。そこには最早モノつくりのそもそもの目的であった「サービスの提供」や「利益向上」が二の次となった、まるで生物の生存競争のような「集団としてのサステナビリティ(持続可能性)の追及」が優先される世界ができあがっています。その結果、モノつくりの観点において優秀な人が、集団から退場することになります。もう少し言えば、モノつくりの絶対的な評価すら、今の日本の主流となっている「数の政治の論理」によって揺るがされかねないと考えます。そもそもこの妙な価値観が、どこから来ていて、なぜ日本の学校や社会で定着しているのかは、また別の機会にじっくり掘ってみたいと思っています。

つまりは、絶対価値としてなんらかの能力を持つ人は、たとえとある集団から退場することになっても、なんら絶望したり悲観的になる必要はなく、別の集団に移籍すれば、いくらでも活路を見いだせますし、活動を継続できる、というが、本稿で言いたかったことです。

 

 

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