「マネジメントが腐っている」と考えてしまうのをやめるにはどうしたらいいか

ここ最近、といいますか、実のところここ数年、いやいや数十年、もしかしたら最初からずっとかもしれません、生業について、個人的に納得いくところに着地させることができていません。それでもなんとか妥協して、どうにかこうにか日々繕って生きてはいますが、まー納得感は大変少ない。

今日もお気楽(自分のこだわりを全部残らず実現させる、というようなノルマがない、の意味)、しかし考えようによっては資本主義的には相当サバイバルな、改善の余地が鬼ほどある生業が、また今日も始まろうとしていますが、少し時間があるのでひとつふたつ、有効そうなアプローチを考えてみます。お題は数ある課題の中から「マネジメントが腐っている、と考えてしまうのをやめるにはどうしたらいいか」、でいってみます。

 

「やめればいい」は正解ではない

私の生業はプロジェクトマネジメントオフィス、通称PMO、その実態は「IT系何でも屋、または便利屋」なので、「マネジメントが腐っている」というのは、翻訳すれば「プロジェクトマネージャー以上の階層が、マニュアルに書いてあるようなミッションを、まったく持って果たしていない」になるのですが、実際その階層には組織のエラい人や、ただのエライ人ではない相当にエラい人、外部から調達してきたコンサルと呼ばれるとんでもなく単価が高い人などで構成されているので、組織や社会の中で、特別スキルや人間性が腐っている、劣っている、という評価の人ばかりを集めているわけではなく、期待のホープや実力者、経営層、役員、上級管理者など、プロジェクトを抱える組織の中でも「腐っているどころか、むしろ輝いている人たち」、「組織において評価高めの人たち」であり、大局的にみれば、どう考えても何でも屋風情が「奴らは腐っている」と考えるのは、なんか違和感があるし、おこがましい。

これでは「社会が会社が腐っている」的な、飲み屋の愚痴レベルの話になってしまいますので、この非生産的で不毛で惨めったらしい発想自体を改善したい。またはネガティブな発想の根本原因を軽減したい。少なくとも自分自身が奴らを「腐っている」と考え続ける以上、「上が腐っているプロジェクトをやめれば解決」、とはならんだろうな、とも思うのです。なぜならば、私がどこで活動したとしても、私が考える「奴ら」は、どこにでもいくらでも登場するであろうことは、想像に難くないからです。

 

腐っている行動や判断を減らすアクションをとる

ということで、毎日仕事場や飲み屋で「奴らは腐っている」と言っててもしょうがないので、その「腐っている」要素を軽減するために自分は何ができるか?を考えてみますと、やはり行動、アクションに勝る選択肢はないかなー、というのが直感。

で、「腐っていると私が思う要素」をつらつらあげてみると、「決断しないでやたらに先延ばしをする」、「マクロではなくミクロの話に時間を費やす」、「仕事場にこない、やたら休む」、「なんか活気がない」、「プロジェクトなのに縦割り組織で考えて、すき間タスクを誰も拾おうとしない」、「コストは予算ありきでフレキシブルさが少ない」など、あげればキリがありません。なんとかばっさり減らせないでしょうか。

 

人のせいにするのをやめる

いっぺんにやっつけるのは不可能ですし、難易度によっては、かかる時間も全然違いますので、まず「そもそもなんでそう思うのか」を、素で考えてみました。すると私が、自分以外の誰か、つまり「奴ら」におんぶに抱っこ状態で、まったく持って「言うだけの奴」と化していることに気がつきます。「なんでやらないの」と文句をいうぐらいだったら、自分でやればいいのです。

自分でやるための障壁、例えば「スキルがない」ならばスキルをつければ良いし、「権力がない」のであれば、権力を得るためのアクションをすれば良いのです。で、スキルも権力も厳しければ、違う方法を探す、例えば賛同してくれるスキル保有者や権力者を探して連携するとか、視点を変えて腐っていない人を探して一緒に仕事をするとか、やりようは何通りもあります。

結局のところ、「やりきる」という気概を持てるかどうか、自分で探し得た原因を信じて、信念を持って改善アクションを持続できるかどうか、という、自分自身の問題に帰ってきます。ということで「マネジメントが腐っている、と思うことをやめる」ための秘策は、結論としては「人のせいにするのをやめれば、他人が腐っているとかまったく関係なくなる」、「自分ごとと考える=評論家ではなく、当事者、プレイヤーで居続ける」、ということでした。少なくとも今日の発想としては。明日も頑張って生きていきましょう。

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