「寛容であること」と人間力

「寛容であること」は、しばしば人格者の特性や、人間力の最たるもののひとつとして取り上げらます。かつて人気パンクバンド、ブルーハーツの曲に「人にやさしく」という曲がありましたが、「がんばれ」というキーワードを全面に押し出した曲だったように記憶していますので、ちょっと「寛容さ」とは違ったベクトルを持った作品かもしれないですが、とはいえ「人にやさしく」というタイトルの曲が人気を博したことから、「寛容であること」が、多くの人々に、広く望まれている概念であることををあらわしている、と考えられます。「寛容であること」とは、どういった状態をあらわしていて、なぜこれほど多くの人々に支持されているのでしょうか。

 

寛容とは、無関心でいることではない

ドイツの偉大な理論物理学者のアインシュタインが、こんな言葉を残しています。「寛容であることは、他者の行動や気持ちに無関心でいることではない」。「寛容ではないこと」がまるで悪徳のように取り扱われたりしている反面、アインシュタインの言葉からは、「他者に無関心であること」という、「寛容さ」の意外な側面が見えます。しかしこの後アインシュタインは、このように続けています。「そこには理解と共感がなければいけない」。「寛容であること」が美徳である前提には、他者の理解や共感が含まれていることが望ましい、ということが見てとれます。そういった意味では寛容さというのは「優しさ」にもかなり近いようです。

想像力や体験も必要

「寛容さ」には、「心が広い」とか「相手の欠点を責めない」、「相手の言動を受け入れる」など、なんだか受け身にもとれるような意味合いも含んでいます。しかし一方で、「異なる宗教を赦す」、「少数派の意見を排除しない」など、どこか「上から」なニュアンスもあるようです。異なる価値観を許容する度量は、結局のところ、「実体験や想像力に富んでいて、かつ自分の中に確固たる軸や文化を持っている」ことが不可欠なのではないでしょうか。

仕事の先輩後輩の関係を例にとると、後輩の手際や段取りが少々悪くても、経験豊富な先輩が、自力で後輩のミスをリカバリーすることができる場合は、「寛容さ」を発揮することが多いものです。人間力という観点から考えると、「寛容さ」そのものはもとより、「寛容さ」を生み出すための想像力や体験が、重要な要素になってくる、といえそうです。さらにはこれらの要素を絶妙なさじ加減で発揮できる「バランス感覚」も必要そうですが、このあたりはまた別の機会に考えてみたいと思います。

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