「三つ子の魂」に抗う方法

アメリカのエッセイスト、ロバート・フルガム氏の有名な格言に、「人生に必要な知恵は、すべて幼稚園の砂場で学んだ」というものがありますが、日本にも「三つ子の魂百まで」という、似たようなことわざ?故事?が存在しています。これらの言葉が意味するところは、かいつまんでいえば「小さいときに身に付いた(または形成された)性格や性質は、大人になっても変わらない」、というところなのですが、私の個人的な感触としては、実感としてある意味当たっているような、そうでもないような、まあ「なきにしもあらず」、くらいに感じています。

 

なんだか損した気分になることも

しかし私の場合、確実に言い切れることは、それこそ幼稚園とか小学校低学年のときに、漠然と抱いていた方針、指針のようなものが、高校生くらいになってバイトなどで自発的な経済活動を始めたタイミングで、漠然とした思いは大方針として確立し、以後数十年に渡って、思考や判断基準の基本的な部分として機能し続けており、大枠は変わっていないように思われる、ということです。しかし、この大方針というかデフォルトでセットされている思考は、アクションをパターン化して「毎日つまんねー」と思ってしまう原因になったり、経済活動に変な制限をもうけてしまって「こんなもんかー」と諦めてしまう根拠になったりと、日々の生活に対してマイナスに働いてしまうようなことも、ままあります。

かつてよく聞いていた(今もたまに聞きます)町田町蔵氏(現町田康氏)率いるINUの「305」という曲で、町田氏は「おまえの家は60年前から(あって)、おまえはそこに生まれたからといって、そこに居続けなければならないのか?霊の呪縛から逃れたいと思わないのか?」と唄っています。私は「いやーそらそうやわ」と感じて、以後行動パターンがマンネリ化して、一定期間を経過したら(おおよそ1~2年程度が目安でした)芸風というか遊びや仕事の内容を変える、または変えきってしまわないまでも、少なくともマイナーチェンジする、ということは、意識的にやってきました。なぜならば、現状維持のままだと、なんだか損したような気分になるからです。まあ「飽きやすい」という性格も多少は影響したのかもしれませんが、意識的に変化を起こしてきたことも、また事実です。

現状を変えることは可能

誰でも多かれ少なかれ、仕事や遊びの場で、自分の気持ちや気分に反した小さい変化は嫌でも体験しているかとは思いますが、「意識的に変える」ことで、「意図して変化を起こす」ことは可能です。「三つ子の魂」によって固定化されたアクションがつまらないと感じたら、あえて「三つ子の魂」に抗って、今とは違う環境を作り出すと、面白いと思える「何か」が生まれるかもしれません。