人間力は「誰でもできること」の中にある

日々生きていると、「こいつほんま、何べん言ってもわからんな」とか、「こんなもん誰でもできるのに、なんででけへんのやろ、なんでこんな楽勝なことをやらんのやろ?」とかいったような、やり場のない怒りや、あきれた気分を味わうシーンによく遭遇します。毎回口に出して相手に直接伝えるようなことは少なくても、相手不在のランチや飲み会の場で、他の人に愚痴ってしまったり、同じ相手に同じような思いを何度かくらったあげく、貯めに貯めた思いが怒りに変わって、「おまえ、ほんまにあほちゃうか!?」といったような乱暴な表現に思いを増幅させて、本人に直撃を食らわせてしまう、ということも、少なくないかと思います。このような場合、ややもすると「そう思ってもいわないのが人間力」とか、「正しい方向に持っていくのが人間力」とかいったような方向感で語られているケースが多いように感じているのですが、果たしてそうなのでしょうか。

 

絶対的な「誰でもできる」は存在しない

人間力云々の前に、そもそも自分が「誰でもできる」と思っていること自体が間違っている、という場合が多いのではないでしょうか。たとえば「時間や期限を守る」ということは、一見誰にでもできるように思えるのですが、そのミッションを抱えている当人の、そもそも思っている価値観や、その場面における経験値、それにその場面で擁している期待値によって、各人のアクションは大きく変わってきます。端的にいえば、「時間や期限を守らない」というアクションに出られる可能性が大きい、もしくは「自分自身ができるという理由で、当たり前のように期待している結果はなんら保証されない」、ということです。

かつてプロ野球ソフトバンクや巨人で監督を務めた王氏が、自分だけが打ち立てることができた偉大な功績を共通認識として、「自分ができたことは、頑張れば皆できる」という哲学ありきでマネジメントしてしまい、チームを低迷させたことと同じ理屈です。誰か特定の人間が「誰でもできる」と考えることは、事の大小問わず、疑ってかかったほうが良い、ということです。絶対的な「誰でもできる」は、実は存在しないのです。

できない前提で説明する

それではどうすれば良いか、といいますと、正解は「相手ができない、という前提で、できるように懇切丁寧に説明する、できるための訓練方法を、具体的に提示する」ことが必要です。誰かにとっての「当たり前」は、他の誰かにとっては決して「当たり前」ではありません。この点を意識するかしないかで、言動や思いは大きく違ってきますし、相手も自身も納得できるような成果にも、直接影響してくるのです。この辺が「人間力」な本質の一部なのではないでしょうか。誰もが持ち合わせているユニークな人間力、それは実は各人が「誰でもできる」と考えているアクションそのもの、なのかもしれません。

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