人間力をつける方法:音楽で感動する②

人間力強化には、その後の生き方に影響を及ぼすという意味で、感動が不可欠です。1980年代に体験したことが、未だに行動指針や判断基準になりえていることを考えれば、私にとってその体験は、振り返ってみれば文字通り「一生もの」の体験・感動であったと言い切れるものです。そしてそれは、普遍的であったかどうかは別としても、少なくとも私にはフィットする体験であった、といえます。そんな重要な体験のひとつが、町田町蔵率いるFUNAというバンドのライブでした。なぜここまで「響く」体験になり得たのでしょうか。

 

あとからじわじわくるパフォーマンス

FUNAの前身であったINUは、メジャーデビューからわずか3ヶ月で解散、続いてマイナーを含む活動期間としてはINUよりも短い、わずか一年足らずというスパンでFUNAを解散した町田氏は、その後も人民オリンピックショーやあほの魂、至福団、北澤組などといったユニークなバンドを作っては壊し、壊しては作りながら、オルタナティブロックやジャズロック、アバンギャルドロックなど、音楽性を変換させながら、それでもどこか一本筋が通っているといいますか、一貫性のあるパフォーマンスを継続していました。なかでもFUNAは、実際リアルタイムで体験した時よりも、その後の10年余りの期間、まるでスルメのような余韻と納得感、しっくりくる感じを、長い期間をかけて得るに充分な、インパクトのあるパフォーマンスでした。これはまるで、噛めば噛むほど味わい深い、あとからじわじわくるスルメのようなパフォーマンスでもありました。

発信者の一貫性が、受け手の人間力を作る

町田氏の一貫性は、町田氏自身が近年においても自ら「パンク歌手」と名乗っているとおり、パンクという概念が、町田氏のバンド活動に一貫性を与えていて、その概念が私にはフィットしたようにも思えます。当時から「人気薄重視」の価値観を、なぜか本能的に持っていたのがフィットした理由かもしれないのですが、それだけではない、と確信しています。その根拠は、その後表現スタイルを大きく変化させたことに伴う、氏のファン層の変容にも見てとれます。現在の氏のファンの大半が、2000年に芥川賞作家となった町田康氏のファンであると思われますが、古い支持者からみても、氏のユニークなライブパフォーマンスと一貫性のあるメッセージ、それに唯一無二の強烈な個性は、文学においてもなんら色褪せず、見るもの読むものに影響を与え、痕跡として人間力を残しうるものである、と考えます。実際、音楽と文学で、同じモチーフや同じ主張もおこなっているように、少なくとも私には感じられます。受け手に大きな影響を与えるユニークな特性は、受け手の年齢、シチュエーション、時代性など、タイミングに大きく左右されることはあるものの、発信者になんらかのチカラが備わっているように私には思えてなりません。

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